※ 다음 4문제 중 2문제를 선택하여 한국어로 번역하시오.
[문제1] 好きな相手ができたら、半端な惚れ方はしないことだ。戀の路もそうなら、芸の道もそうだ。文の芸、飜訳の芸を磨くには、好きな外国の作家、好きな日本の作家の文章と、とことん付き合って、筆の芸を盗むことだ。
天 才でも努力して芸を磨く。いわんや天才でない者は、自分で何も発明できないのだから、模倣から自分の芸を養うほかない。天才でなければ名人にはなれない が、達人にはなれるかもしれない。達人は努力の末に生まれるものだから、あるいは、誰かの芸、何かの芸に、とことん惚れ抜いた末に達する境地だから。
好 きならやれ、嫌いならやるな、だ。好きな事ならいくらでも努力できる。いや、傍目に努力であって、當人なのだ。やめろと言われたってやるものだ。飜訳する ことがたまらなく好きなら、やるがいい。翻訳家というものになりたいだけなら、やめるがいい。そんな人にとって、訳業は地獄の責め苦でしかないからだ。自 分にもそう言ってきた、人にもそう言っている。
[문제2] 「冬来たりなば春遠からじ」といいます。
作家の三浦綾子さんは、肺結核で長い闘病生活をつづけていましたが、ある日、お母さんにこう言われたそうです。
「トンネルに入ったら仕方がないんだよ。でも、どんなに長いトンネルでも歩きつづけたら、いつかトンネルの外に出るからね」
三浦さんは、この言葉にはげまされ、苦しく長かった病気と闘ったということです。われわれ人間は、なにか苦しい状況にめぐり合うと、もう出口はないのだと深刻に考え込んでしまい、自分や世の中に絶望してしまいがちです。
苦しく辛くても、万事を絶望的に受けとりすぎないほうがいいわけで、ほんの少しの我慢、辛抱なのだ、というタカのくくり方も必要になってくるわけです。
冬来たりなば春遠からじ……、寒い寒いといっているうちに、いつしかうららかな暖かい春がやってくるのです。人生もまた"四季"の繰り返しに似ているようです。
[문 제3] 夕焼けの美しい季節だ。先日、タクシーの中でふと空を見上げると、すばらしい夕焼けだった。丸の内の高層ビルの間に、夕日が沈もうとしていた。車の走るに つれて、見えたり隠れたりするのがくやしい。斜陽に照らされたとき、運転手の顔が一杯ひっかけたように、ほんのりと赤く染まった。
美しい夕焼け空 を見るたびに、ニューヨークを思い出す。イースト川のそばに、墓地があった。ここから川越しに見るマンハッタンの夕焼けは、悽絶といえるほどの美しさだっ た。摩天楼の向こうに、日が沈む。赤、オレンジ、黄色などに染め上げた夕空を背景にして、摩天楼の群れがみるみる黒ずんでいく。
私を取りかこむ墓 標がある。それがそのまま、天空に大きな影絵を映し出しているように思えた。ニューヨークは東京と並んで、世界でもっとも醜い大都会だろう。その摩天楼 は、毎日のお愛想にいや気がさしている。踊り疲れた踊り子のように、荒れた膚をあらわにしている。だが夕焼けのひとときだけは、ニューヨークにも甘い感傷 があった。
[문제4] 二十代の頃のぼくの基本的信念は「やったことがないことは、やる」ということであった。この信念に則り、臆病者なりの勇気とハッタリをもって行動した結果 として、何足もの鞋を履くようになってしまったわけだが、これが少々しんどくなってきた。鞋を履いた足が何本もあるので、どの足から踏み出したらよいのか 分かんなくなっちゃったのである。そこで三十代は小説とエッセイと戯曲、この三本に絞るべく基本的信念を変更することにした。
ところが二十代の内 にしみついた野次馬根性がつい働いて、未だに余計なところへ手を出しがちなのが現状である。去年の暮れ、請われるままに着手してしまったCDの製作なんか も、その一つだ。これは「バーチャルサウンド」というとてつもなくリアルな錄音システムを駆使し、ぼくが台本を書き、東京壱組の役者を使ってラジオドラマ のようなものを製作をしようという試みである。聴いてもらえば一発で分かると思うのだが、とにかくこのバーチャルサウンドというのは、年寄りが聴いたら ショック死するんじゃないかと心配になるほどリアルなのである。
[문제1] 好きな相手ができたら、半端な惚れ方はしないことだ。戀の路もそうなら、芸の道もそうだ。文の芸、飜訳の芸を磨くには、好きな外国の作家、好きな日本の作家の文章と、とことん付き合って、筆の芸を盗むことだ。
天 才でも努力して芸を磨く。いわんや天才でない者は、自分で何も発明できないのだから、模倣から自分の芸を養うほかない。天才でなければ名人にはなれない が、達人にはなれるかもしれない。達人は努力の末に生まれるものだから、あるいは、誰かの芸、何かの芸に、とことん惚れ抜いた末に達する境地だから。
好 きならやれ、嫌いならやるな、だ。好きな事ならいくらでも努力できる。いや、傍目に努力であって、當人なのだ。やめろと言われたってやるものだ。飜訳する ことがたまらなく好きなら、やるがいい。翻訳家というものになりたいだけなら、やめるがいい。そんな人にとって、訳業は地獄の責め苦でしかないからだ。自 分にもそう言ってきた、人にもそう言っている。
[문제2] 「冬来たりなば春遠からじ」といいます。
作家の三浦綾子さんは、肺結核で長い闘病生活をつづけていましたが、ある日、お母さんにこう言われたそうです。
「トンネルに入ったら仕方がないんだよ。でも、どんなに長いトンネルでも歩きつづけたら、いつかトンネルの外に出るからね」
三浦さんは、この言葉にはげまされ、苦しく長かった病気と闘ったということです。われわれ人間は、なにか苦しい状況にめぐり合うと、もう出口はないのだと深刻に考え込んでしまい、自分や世の中に絶望してしまいがちです。
苦しく辛くても、万事を絶望的に受けとりすぎないほうがいいわけで、ほんの少しの我慢、辛抱なのだ、というタカのくくり方も必要になってくるわけです。
冬来たりなば春遠からじ……、寒い寒いといっているうちに、いつしかうららかな暖かい春がやってくるのです。人生もまた"四季"の繰り返しに似ているようです。
[문 제3] 夕焼けの美しい季節だ。先日、タクシーの中でふと空を見上げると、すばらしい夕焼けだった。丸の内の高層ビルの間に、夕日が沈もうとしていた。車の走るに つれて、見えたり隠れたりするのがくやしい。斜陽に照らされたとき、運転手の顔が一杯ひっかけたように、ほんのりと赤く染まった。
美しい夕焼け空 を見るたびに、ニューヨークを思い出す。イースト川のそばに、墓地があった。ここから川越しに見るマンハッタンの夕焼けは、悽絶といえるほどの美しさだっ た。摩天楼の向こうに、日が沈む。赤、オレンジ、黄色などに染め上げた夕空を背景にして、摩天楼の群れがみるみる黒ずんでいく。
私を取りかこむ墓 標がある。それがそのまま、天空に大きな影絵を映し出しているように思えた。ニューヨークは東京と並んで、世界でもっとも醜い大都会だろう。その摩天楼 は、毎日のお愛想にいや気がさしている。踊り疲れた踊り子のように、荒れた膚をあらわにしている。だが夕焼けのひとときだけは、ニューヨークにも甘い感傷 があった。
[문제4] 二十代の頃のぼくの基本的信念は「やったことがないことは、やる」ということであった。この信念に則り、臆病者なりの勇気とハッタリをもって行動した結果 として、何足もの鞋を履くようになってしまったわけだが、これが少々しんどくなってきた。鞋を履いた足が何本もあるので、どの足から踏み出したらよいのか 分かんなくなっちゃったのである。そこで三十代は小説とエッセイと戯曲、この三本に絞るべく基本的信念を変更することにした。
ところが二十代の内 にしみついた野次馬根性がつい働いて、未だに余計なところへ手を出しがちなのが現状である。去年の暮れ、請われるままに着手してしまったCDの製作なんか も、その一つだ。これは「バーチャルサウンド」というとてつもなくリアルな錄音システムを駆使し、ぼくが台本を書き、東京壱組の役者を使ってラジオドラマ のようなものを製作をしようという試みである。聴いてもらえば一発で分かると思うのだが、とにかくこのバーチャルサウンドというのは、年寄りが聴いたら ショック死するんじゃないかと心配になるほどリアルなのである。
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