(일어번역능력인증시험)鎌倉中期作?08.07.22(일어번역능력인증시험)
「大沢本源氏物語」 |
「大沢本源氏物語」の「夕霧」の巻末。ほかの写本にはない「なにはの浦に」という6文字がある=いずれも伊井春樹さん提供 |
鎌倉時代中期のものとみられる、「源氏物語」の全54帖(じょう)がそろった写本「大沢本」の存在が21日、明らかになった。藤原定家らの校訂を経ていない、別本(べっぽん)と呼ばれる未整理の本文を多く含んでおり、現在読まれている「源氏物語」より古い姿を残している可能性がある。
大沢本の存在を確認した国文学研究資料館の伊井春樹館長によると、戦前までは奈良県内の大沢家が所蔵していたが、その後約70年間、行方がわからなかった。大沢家の先祖が豊臣秀吉から拝領したという伝承があり、筆者として西行や寂蓮(じゃくれん)、後醍醐天皇らの名前も伝わるが、証拠はない。現在の所蔵者は明らかにされていない。
各帖はほぼ縦横16センチで、表紙は緑地の金襴緞子(きんらんどんす)。虫食いの跡はなく保存状態もよい。一部の失われた帖を室町時代に補ったとみられる。
別本は28帖にのぼり、ほかの別本とも異なる独特の表現が多く含まれている。たとえば光源氏の息子夕霧について語られる「夕霧」の巻末に、「なにはの浦に」の6文字が確認された。
伊井さんは平安中期の和歌集「古今和歌六帖」の歌「おしてるやなにはのうらに焼くしほのからくもわれはおいにけるかな」からの一句ではないかとみている。この引歌(ひきうた)によって「自分も年をとったなあ」という夕霧の心情を表現した可能性がある。
所蔵者からの依頼を受けた伊井さんが調査に着手、21日に堺市の大阪府立大で「幻の大沢本源氏物語」と題して講演し、これまでの結果を報告した。伊井さんは「重要文化財級の貴重な写本だと思う。『大沢本』を精査すれば、定家によって表現が洗練される以前の、平安時代の『源氏物語』に一歩でも近づけるのではないか」という。
龍谷大の藤本孝一客員教授(写本学)は「遅れていた別本研究がこれで進展するだろう」と期待する。(編集委員・白石明彦)
〈「源氏物語」の写本〉 江戸時代に版本が普及するまで筆と墨で書き写された。平安時代に書かれた紫式部の自筆本は現存しない。鎌倉時代前期に藤原定家が写した「前田本」などが最も古い。国文学者池田亀鑑(きかん)の分類によると、定家が校訂した青表紙本、同時期に源光行らが校訂した河内本の2系統と、それ以外の雑多な別本がある。現在読まれている本文はほとんど青表紙本系統の「大島本」(室町時代)がもとになっている。