번역사/번역사 기출문제 일본어

(일본어번역가전문학원)◈ ◈ 일한 2급 2교시-과학기술

현대천사 2008. 6. 11. 16:38
2급 일 → 한(과학기술) 번역문제의 유형

[2교시, 제한시간 70분, 50점]

■ 다음 4문장 중 2문장을 선택하여 한국어로 번역하시오.[50점]


[1]
   ニューセラミックスと、こんな言葉はないけれども、あえて言えばオールドセラミックス。オールドのほうの有田焼きが、天然の土を、そのまま使って茶碗や壷 をつくるのに対し、ニューのほうは、ブラジルなどで採れた岩石からアルミナやジルコニアやウラセウムなど、特定の成分だけを抽出して、不純物のない無機物 質を焼結していくことにある。
  当然、値段もはって、茶碗をつくる土がトンあたり何万円なら、こちらはキロ単位で何万円だ。溶解と凝固に独特の クスリと工夫が必要だし、焼結温度も高く、手法も複雑だ。しかし、そうやってできたニューセラミックスは、鉄よりも堅く、摩耗に強く、絶縁性もよく、錆び ないし、熱伝導性もいいし、微細精密な形状の成形が可能だ。
  いずれは車のエンジンもセラミックス製になって、熱エネルギーを四十パーセントしか機械エネルギーに転換していない現在のエンジンにとってかわると言われるのだが、いま実際には、何がどう開発されているのだろうか。秋雨にけぶる有田の町を探して歩いた。
   エレクトロニクス製品に使われる固定抵抗器用セラミックス素材を専門に工産している共立製磁の本社工場では、十メートル余りの低いトンネルのような電気炉 で、一ミリ、二ミリの小さな白いビーズ玉のような抵抗器材料が焼かれているところだった。炉は最近のものでも、工場の建物はいかにも有田焼きの伝統の痕跡 を残した長屋ふうであった。

[2]
  思いつき、ならまだいい。 場あたり的、衝動的、発作的でも、まだなんとか理屈を考えることができる。 せっぱつまったにはちがいないが、ともかく狙いだけは明確だからだ。 しかし、他の狙いの実験をしていてたまたま偶然に新しい発見をしてしまったら、始末におえない。原理原則はわからず、あとづけることもできないし、ただ結 果だけが目の前にある。
「そういうことがあるんです。A元素とB元素を合成してCという合金を作ろうとしたのに、予想外のX合金ができてしまう。 さあ、このとき、理屈を考えねばならない。簡単なようにみえて、これがむずかしいんです。大学の研究所の役割は、この原理をみつけだすことだと思うんで す。」
  たまたま発見されたX合金が従来にない特質を持っているなら、企業がそれを使って何かの製品をつくりだすだろう。しかし、大学として は、なぜそのような合金ができたのかをきちんと論理で説明できなければならない。それが研究というものだ。東北大学金属材料研究所の仁科雄一郎教授はそう 言う。
  略して、金研。ピアノ線よりも数十倍も強いアモルファス、金属より堅く、耐熱効果のすぐれているセラミックス、電気抵抗を限りなくゼロ に近付けようという超伝導物質など、産業素材に対する関心はこのところ急激に高まっているが、金研はこうした新素材研究の日本における中心基地のひとつで ある。
  しかし、その中心で起きている事柄は、それこそ思いつき、衝動的、発作的ともいえない、もっと予想外、偶然の発見の積み重ねだというのだ。


[3]
  追いつけ追い越せ型の時代には、このような国家運営の手法は、たいへんな威力を発揮した。
と ころが、経済の実態がはるかに巨大になり、このような権力行使が不必要で時代錯誤になったいまでも、なお多くの領域では、実質的には政府の影響下から抜け 出しながら、業界の秩序維持の目的で「行政指導」という文字通りパターナリスティックな権力行使を受け入れ、利用し続けてきているのである。
   このパターナリズ厶という表現をいま少し普遍化させると、大新聞を筆頭とする日本のジャーナリズムは、「口うるさい」の位置にある。権限や責任はないのだ が、それなりに学と知識がある者の立場から、家父長的な中央の決定を批判したり、事後的に解説してみせたりする。よく、日本の新聞の政治面は、憶測記事を 書きすぎると海外のジャーナリストから批判される。これは、政官界の実力者(彼らはしばしばオヤジと呼ばれる)に 「番記者」を張りつけにし、権力中枢の意向をいちはやく嗅ぎだすことが内情に詳しく、権力により近いことの証であるとする了解構造にたって紙面作りがされ ているからである。
  それに日本には、有名な記者クラブ制度がある。各省庁の記者クラブを通して、霞ヶ関の情報が一方的に散布されるこの構造 は、中央省庁こそあらゆる情報を握っている、という共通了解がなければ機能しないはずのしくみである。一般に、新聞はこの世で起こっていることの効率のよ いサマリーであり、逆に新聞に書かれていないことは無いも同然とみなされる傾向が強い。

[4]
   技術や学問の進歩により常識が覆ることもあります。学問の理解を越えた現象もありえます。しかし、それらを開発したり理解するのは、近年の学問や科学技術 の著しい発達のために、一個人の天才が成し遂げるものではなくなってきています。(一人の人間の知的能力には当然限界があるでしょう。20世紀初頭までの 学問はその限界よりも余裕を持って低いレベルだったのが、どんどん発展して、最近の学問はその限界レベルにより近づいてきたと考えられるでしょう)。
   そのため、まあ、カリスマと称する人たちが「がなりたてる」ことはだいたいまやかしと思わなくてはなりません。そうはいうものの、情報過多の時代ですの で、ついつい心の透き間に入り込む怪しい手が待ちかまえています。人類滅亡や極楽浄土の刷り込みを冷静に判断するためにも生命科学を学んでいきましょう。
   生命科学は、今ではだれもが日進月歩の大切な学問であることを知っているし、また関心も高いものとなっています。ところが、昭和20年代には、そもそもそ のような名前すらなく、学問として認知もされていなかったのです。生命科学にあこがれるときに、だれもがそのきっかけとして名をあげるワトソンとクリック のDNA二重らせん説が発表されたのは昭和28年(1953年)でした。その頃は、大学の理学部動物学科に行くなんて動物好きの変わり者ぐらいしか思われ ていませんでした。だいたい、就職先だって、やっと学校の先生に拾ってもらえるぐらいしか期待できなかったのです。